土地と人間。結局は日本人は土地に縛られていたとしても。
最近は、進学や転勤などの関係上、出生地や育ちの土地から離れて暮らす人が多いと思います。
昔に比べ、人は土地から自由な存在となり、好きな場所へ、どこへでも、どこまでも、行けると。
未来は無限にひらけてる。
そんな生き方もとても素敵。
けれども、そんな根無し草のような、ふわふわした人生にアンカーがほしいと思う人もいるのではないでしょうか。
住んでいる土地というアイデンティティ
今の世の中、意思を持たずともほぼ流れに身を任せて暮らしているだけで、住む場所というアイデンティティの一つが、どんどんハイブリッドになってゆくような、そんな不思議な感覚を覚えるわけです。
たとえば、母親の故郷である熊本県で生まれ、父親の職場のある東京で育ち、進学で大阪へ行き、転勤で京都へ行ってその土地で家を買って家族で暮らす…というような人生も少なくありません。
土地と人とを繋ぐ、ふたつの手がかり。
そんなとき、家を買うと、一つのアンカー的役割を果たしてくれます。
たとえ転勤があったとしても、ひとまずは単身赴任を考えるだろうし、
子供が生まれて保育園に入れると、共働きの場合は数年は動けないと思います。
特に人口密度が高い地域の場合、一度保育園を離れると、入れ直すのが難しかったりするからです。
そして、もう一つのアンカーが、祖父母・父母の土地、ひいてはお墓です。
なお、これは時限爆弾的な、隠れたアンカーです。
普段は可視化されていませんが、祖父母から父母へ、父母から自分へと、確実に受け継がれていきます。
直接的な相続人でなくとも、完全な他人事にはならず、管理を手伝ったりする可能性が高いでしょう。
これらはちょっと重たい話に見えますが、逆に言えば自分がどんなに破天荒に生きたとしても、絶対に裏切らない絆とも言えるのではないでしょうか。
(占星術で言えば、4ハウスですね!)
どうせなら土地をアイデンティティの一つとして考えてみればよい。
ということであれば、住み始めたり通ったりすることで取り込むことが可能です。
しかし、「自分のルーツ」。
これは、後天的に獲得できない土地との関係性です。
否応なくその血は流れ、用事はでき、知識はあり、愛着に近いものが芽生えます。
そして、よりオリジナリティが表現できる領域なのです。
西荻窪とは違い、後付けで狙って出来るような街とは縁が出来ないのです。
大抵、なぜそこなのか!というような、あまり知られない町だったりもするでしょう。
つまりはニッチ産業ということですよね。
ぜひ、自分の価値創出に役立ててみてはどうかと、最近は思います。